閑話:に
【白兎金欠危機・第一話】
……たまに、私をここに、白兎隊に配属した人間を蹴り飛ばしたい気分に駆られる事がある。
たとえば、そう。
「そんな訳でだね、真魚。通帳とカードがお亡くなりになってしまったのだよ。いやーコイツは不幸すぎる事故だった。線香を準備しておかなくちゃいけないぐらいにな、あっはっはっはっはー」
昼間に他の隊との定期的な情報交換などをするような会合を済ませ、帰ってきた矢先に投げつけられた第一声がソレだった。
ちなみに、現状としてわたしの手持ちは非常に少なく。通帳やカードの再発行は、どう少なく見積もっても数日はかかるのが確定している。
このまま行くと間違いなく、確実に、あさってぐらいから食事する為のお金が無くなってしまう。
たまたま今日は週末だという事もあったので、明日に下ろしてこようかと思っていたのに……。
ピンポーン
「誰かしら……はーい」
玄関の覗き穴から相手の姿を確認すると、いつも食材とか配達してきてくれる近所のスーパーの店員さんだった。
「ちわーっす。先日の注文お届けにまいりましたー」
「おっ、きたきたッ! いやー、待ってたんだよな。新製品だってから期待してたんだけど、思ったより早かったじゃんかよ」
わたしの身体を横にずらし、小鳥さんがヌッとあらわれては店員さんからその箱を受け取っていく。
そのダンボール箱には『マイケル−ドライ・真打』という、ビールの名前が刻み込まれていた。
「そうそう、真魚。お金よろしく」
―清算後、現在の所持金:127円
「ありがとうございましたーっ。またよろしくお願いしまーっす!」
「おう!」
にこやかに挨拶を交わす小鳥さんと、店員。
そして扉がパタンと閉じられ、配達している店員のバイクの音が遠くへと去っていく音が遠くなっていった。
「さってと、ららら新製品〜こいつを飲む日ぶべらっ!?」
笑顔にしている小鳥さんの顔面に、わたしは迷わず裏拳を叩き込んだ。
「あ、あにふんだみゃな…………みゃなふぁん?」
鼻を正面から潰されるように叩かれた小鳥さんは、目に涙を浮かべてはこっちをにらみつけて……次の瞬間、ビクッと身体を震わせる。
「はい、真魚ですよ。アナタの心優しい部下で白兎隊副隊長の、真魚ですから」
わたしは全力全開でとびっきりの笑顔を見せてから、迷わずそこで小鳥さんの足をパシッと払った。
グルリと小鳥さんの身体が半回転し、そのまま床にあおむけでねそべる格好へ。そこに間髪入れずに、わたしは小鳥さんに跨ってから軽く深呼吸をする。
「あ、もひかひて……ありぇか、みゃなのふんまでひゅーもんひへはかったのふぁふぁふかったにょふぁ? ひ、ひひゃまふぇ。みゃなもひょんへひいはは、にゃ? にゃ?」
鼻を押さえながら小鳥さんが必死にそう言葉を投げつけてくるけれど、当然ながらそんな言葉に耳を貸すつもりは、無い。
バタバタとわたしの下で小鳥さんは、その名前が表す通りにさまざまな言い訳と許しを懇願する言葉を。
必死になって囀っている。
世の中の悲劇として産まれてくる時に親が選べないとは言うけど。仕事場の上司も選べないというのをその中に含めておいてもいいんじゃないかとわたしは思う。
「労災が出るようにはかけあっておきますから、安心して下さいね。こ・と・り・さ・ん☆」
そう、こんな駄目上司が世間には満ち溢れてない事を心から祈りながら。
*
翌日。
何はともあれ、現状として。
「所持金は乏しく、食材は部屋の中にある新製品のビールと調味料のみ、なのよね。まいったわ……こんな事に陥るなんて、想像した事も無かったし」
あぁ、とても日射しがまぶしい。
こんなにも暖かい日射しを全身に受けながら、頭の中に浮かぶのはただお金の事だけだなんて。どうしてこんなにさみしいきもちになるのかしら。
太陽の日射しを浴びながらこう、公園のベンチに座って。これが普段ならとてもすこやかな気持ちになるはずなのに。
今日一日の食事ならともかくとして、再発行までに最速で10日と言われてしまい。少なくとも一週間以上、どうにかしなくちゃいけなくなっている。
小鳥さんは水と塩、それにビールで暮らしてもらうにしても……。
「どう考えても無理よね、そんなの」
世間の断食修行の方々が何日我慢できるだとか、そういった事と張り合うつもりなんてサラサラ無いし。人類の限界に挑戦してみようという気持ちも無い。
つまりは可能な限り迅速に、どんな手段でもいいからお金を入手して来なければならない。
どんな手段でもと言っても、強盗恐喝詐欺殺人といった非合法な手段を取る訳にはいかないけど。そもそも、そういった手段に手を染めてしまったら姫巫女が姫巫女ではなく鬼に堕ちてしまう。
「はぁ……姫巫女の家系に生まれなければ、こんな苦労もしなかったのかしら」
思わずそんな意味の無い想像が頭の中に浮かび上がるのを、わたしはすぐさま消去していく。そんなマイナス思考にとらわれていても、現実は何も変わらないのだから。
今は何よりも、お金を稼がなくちゃいけないのよね。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
とはいえど。
お金を稼ぐなんて事がそうそう出来そうに無い事はわかりきっているし、何よりも日雇いとか日払いだなんて都合の良いバイトがあるとは思えない。
こういう時にちょっとしたツテとかあればいいんだけど、誰に相談したらいいのかもわからないし。
「あれ、真魚さん。元気無さそうですけど、どうかしたんですか?」
「穂乃香ちゃん……べ、別に元気が無いなんて事は無いわ。それより穂乃香ちゃんの方は一人で買い物かしら」
思わずため息をつきかけた所で、そう言われて少しだけ驚く。まるでこっちがお金の事で困っている事を見透かされたんじゃないかって。そんな不安に一瞬だけ駆られてしまうけど。
でも、穂乃香ちゃんがさすがに知っているとは思えない。
「いいえ、小鳥さんにお願いされてですね。『金欠の真魚の為に、日雇いのバイトを捜しておいたから早く帰ってくるように説得してくれ。どうせ公園のベンチあたりで、しょぼくれてるだろうから』って言われまして」
「……ぅぁ」
小鳥さんが原因だった物事が、いつのまにか『私が金欠』って事柄へ完全にすり替わっている。それを聞いた瞬間に目の前が真っ暗になったように感じたのは、わたしだけなんだろうか。
「そんな訳で、とりあえず戻りましょうよ」
「そ、そうね……」
ただここで下手に言い訳をしても、かえって穂乃香ちゃんの誤解がより根深い物になってしまうような気がする。色々と言いたい、渦巻くような気持ちを必死に抑え、こぼれそうな涙をわたしはグッとこらえる。
ベンチから勢い良く立ち上がり、とにかくそのバイトの内容を聞いて。現状をすべて打破してから、後で穂乃香ちゃんの誤解を解けばいいだろう。
「でも真魚さん。あまりお金を貸したりするのは良くないでしょうけど、食材とか買って料理とかお手伝いしますから、元気出して下さいっ」
「あ、ありがとね……穂乃香ちゃん……」
……やっぱりあの馬鹿隊長、帰ったらもう一度ブン殴るしか無いようね。
(続く)